2023年の大晦日、私は数年ぶりに実家へ帰った。

年末年始を実家で過ごすなんて、もう何年ぶりか思い出せない。スマホのカレンダーで「実家」と検索してみたら、出てきた予定は2018年12月31日だった。 5年。5年も泊まっていなかった。そんなに帰ってなかったの? 自分でびっくりした。

この5年、両親とまったく会っていなかったわけではない。会うときは東京に呼び出して、食事をしていた。神奈川の田舎から出てきて、東京で美味しいものが食べられるならいいじゃない? ──と自分に言い聞かせていたが、これは完全に私の都合だ。寝泊まりグッズを持ち歩いて移動するのが、ただただ面倒だったから。

2023年4月、仕事の状況が大きく変わって、在宅フリーランスになった。25年ぶりくらいに、ようやく普通の生活っぽいことを始められた。で、ようやく実家に年末年始に泊まるということが実行できたわけだ。

「老い」の違和感

2022年ごろから、両親の「老い」を感じ始めていた。東京で食事するたびに。

母の話し声が小さくなっていた。「え? 何? もう一回言って?」と繰り返すことが、極端に増えた。なんかこれはヤバいなと、漠然と感じ始めたのがたぶんこの頃。

母はずっとパート勤めをしていたが、ある時会社の方針変更で、パートのおばちゃん達が一斉に解雇された。毎日仕事に行くことが生活そのものだった人から、急に行き先がなくなった。(これは後から知った話。)

70歳を超えたおばあちゃんを雇うところはない、と母は判断したらしい。内職を始めた。ボールペンのインク入れ。父とふたりでテーブルに向かって作業していたが、2ヶ月ほどで体を壊した。肩がおかしくなり、精神的にもダメだったと。期限のプレッシャーが合わなかったらしい。帯状疱疹が出た。頭皮のフケが大量に発生した。同時多発的に壊れていった。

このあたりの事情を、食事の時に聞いた。かなり後の事後報告だった。リアルタイムの話ではなかった。

あまりにも両親のことを知らない自分がいた。申し訳なくなった。もう少し若い状態だったら放置でも問題ないとは思う。でももう70オーバー。何かあってもおかしくない年齢だ。

こういった、ちょっとした違和感と焦りから、そろそろ親と過ごす時間を増やしたほうがいいかもしれないと思い始めた。漠然と。かといってすぐ実家に帰って一緒に住むわけではないので、まずは私が実家に帰ることから始めた。

年末年始の帰省というのは、ちょうどいい始め方だったのかもしれない。

テーブルに、何もなかった

31日の午後、実家に向かった。片道ドアトゥードアで約2時間。駅ビルのスーパーで買い物をして帰宅した。正月だからといっておせち料理を用意する家庭ではないので、お刺身でもあればいいかなと思っていた。

もう食事始めてるかなと思いながら、17時ごろ帰宅すると、テーブルには何も置かれていなかった。

少しびっくりした。え、何もない。年末年始感がまったくない。

ん? 私は何を期待してたんだ? テーブルにぱーっと華やかな何かが並んでいることを? 自分でもちょっと嫌になった。あまりにも普通の日常で、殺風景で、なんだか悲しくなった。悲しくなる自分も嫌だった。

久々に娘が帰ってくるんだから、もう少し何か準備しておいてよ──という感情なのかな。認めたくないけど、そうなのかもしれない。両親を長年放置しておいて、自分都合で実家に帰り、豪華な食事を期待していた。自分、キモいなと思った。

夕飯の用意をした。母のつくりおきの皿を出し、自分が買ってきた刺身を並べてもらい、ようやく普通の夕ご飯の食卓ができあがった。年末年始らしさは全くない。見覚えのある料理が並び、ふたりのいつもの日常に、刺身が加わっただけの食卓だった。

高齢のふたりでの食事なんて、こういうものなんだ。蕎麦とめんつゆを買ってきておいてよかった。

多分この日の夕飯を食べながら、宣言した。今年はちゃんと家に帰って、片付けしていくから、と。若かりし頃の荷物も若干残っていたから、まずはそれからやると言った。これはとっかかりで、本当の意味は実家全域にわたり整理するということだったんだけど。あまりびっくりさせないように、オブラートに包んだ。

元日の朝、洗面所にて

1月1日。朝起きてシャワーを浴びた。

洗面所で目を疑った。ドラム式洗濯機の、あの埃がたまるところあるじゃん? あそこの少しの隙間から、埃がはみ出していた。ぎょっとして、しばらく時が止まった。

パタパタ稼働する部分から、明らかに埃が出てきている。出てきているということは、中がいっぱいということだ。開けるのが怖かった。

いったん、無視した。これから朝ごはんを食べるのだから、あそこは開けてはいけない。あとにしよう。

タオルに手を伸ばす。それはまあ薄い。私は毛量過多でロングだから、このタオルでは髪の水分がまったく取れない。町内会でもらえるあのタオル。色が揃ってなくて、いつから使っているのかわからない。

枚数は結構ある。20枚くらいはたたまれているか? なのに高さがなく棚に収まっているのは、ふんわり感がまったくない証拠だ。ほんとうにぺらっぺらで、タオルなのに綿の手ぬぐいのようだった。(幸い臭いは大丈夫だった。いや、ほっとしている場合ではない。)

古びた風力の弱いドライヤーで髪を乾かす。想像以上に乾かず苦戦する。プチストレスを感じながら、正月を迎えた。

時間が止まってる家

昨日は夕方に帰宅したから、見えなかったところがたくさん見えてきた。

実家はもう全部が古びていた。(当たり前体操なんだけど。)地味にショックだった。古びたものを買い替えることをしない。そういう機会に、私がやってあげてこなかった。家のチェックをしてこなかった。声をかけてこなかった。

それらのことが、ドドドドドドッと私を追い込んできた。

自分は単身での引越しを何回もして、賃貸だから清掃やメンテが入った部屋に引越しているわけだ。実家は30年。何のメンテナンスもしてない。何のリニューアルもしてない。いろんなものが黄ばんでいて、掃除は母がしている感はあるが、物の古さは否めない。

私が実家を出る前と、何も変わっていなかった。

タオルや下着を入れるカゴの引き出しがボロボロで20年選手。壁には、母がテレビで見て真似した突っ張り棒。タオルをくるくる巻いて差し込むと取り出しやすいコーナーができる、というやつ。それが便利なのか不便なのかさえ、考え直されないまま取り付けられている。

私は壁にベタベタ何かを貼るのがほんとに嫌いで、その様を見るのもちょっと辛い。

なんか時間が止まってる家だった。

こんなに放置してきたのは自分なのだが、普通に悲しくなるのは随分身勝手だなとも思った。今までやってこなかったのは私で。やってこなかったというか、やってあげてなかった。もう少し実家にお金をかけてきてもよかったんではないかと感じた。

さて、始めるか。実家の片付けとやらを。

お鶴

実家の片付け 連載

タオルとハンカチから始まった

洗濯機を開けてしまった